フレンチトースト訴訟

父ちゃん大法廷に立つ(計画)



昭和56年頃

ちょっと回想します。(脱線とも言います。)

 

寡夫控除が創設された当時、私は中学生でした。静岡の田舎町で、毎日トランペットを吹いていましたね。うちは父子家庭でした(遺伝か?)けど、貧困という事はなかったです。父は普通の会社員でしたね。トランペットに夢中になる息子に、Bach(トランペットのメーカーでバックと読みます)を買ってあげたぐらいですから。とはいえ、親の年収は聞いたことがないので、寡夫控除の該当者かどうかは知りません。

 

今、当時の資料を紐解いていくと、脳裏に転がる記憶の破片が舞い上がります。

大平総理大臣が亡くなったのもこの頃でしたね。黙祷する時に、知らずにラッパを吹いてて叱られました。

この頃、アカデミー賞の映画「クレイマークレイマー」が日本で公開されています。シングルファザーが話題になってた時代でもあります。

昭和55年にサラリーマン税金訴訟が上告されてますね。判決は昭和60年ですから、かぶってますね。最高裁判所の裁判官は、巷でやいのやいのやってる寡夫控除制度について耳にしながら裁判をしていたのでしょう。

 

授業では日本国憲法を学びましたね。社会科の先生に憲法の前文を暗唱するようにという宿題をもらい、必死になって覚えたものです。

定期考査の答案用紙に「違憲立法審査権」と書いた記憶があります。まさか、自分に関係してくるとは思いもしませんでしたけど。

 

 

思い出してたら、おバカな事を考えつきました。それを発表するかどうかは1日考えます。