フレンチトースト訴訟

父ちゃん大法廷に立つ(計画)



大蔵委員会議録(1)

第80回国会衆議院
大蔵委員会議録

昭和52年3月23日午前10時33分開議

(一部抜粋)
只松委員
 いま新憲法下に、男女平等ということになりました。とかくまだ男の方が強くて男性が封建的である、女性の方が弱いのじゃないか、こういう意見が横行といいますか、言われがちでございますが、大臣は男女平等は必要なもで正しいものである、こういうふうにお考えになりますか。いかがです。

国務大臣
 さように考えます。

只松委員
 そういたしますと、当然男女に法律は平等にこれまた施行されなければならない、当然にこれは税法も男女は平等に施行されなければならないと思いますが、そうお思いになりますか。

国務大臣
 男女によりまして社会的にやっている仕事というものについては、これはおのずから分野がございまして、それでそれぞれが適当であるという方面で活躍するという意味におきまして、これは私はおのずからその意味において変わっておるということは認めなければなりません。しかしそれに対しまして、それだからといって不公平に扱っていくというようなことは、それとこれとは全く別でございまして、公平、構成に扱っていかなければならない、かように考えます。

只松委員
 いや、ずばりと私が申しましたように、男女は法のもとに平等であるべきだと思いますが、大臣はどうお思いになりますかということです。抽象的な言葉や言いわけは結構でございます。

国務大臣
 法はあらゆる人間に対して平等であることが、これは原則であります。

只松委員
 当然だと思います。これは民主国家、近代国家においては男女は法のもとに平等だし、いずれにも平等に課さなければならない。ところがこの税法の中において男女不平等なものがあるわけです。これがいままで一回も国会において論議をされない、あるいは不平等のまま放置されておる、こういうものがあることを御存じでございますか、どうですか。

大倉政府委員
 従来、国会での御議論では、税に関してお話が出ましたのはむしろ女の方の地位を男の方と同じにすべきである。妻の座の確保、あるいは夫婦の扱いの平等というふうな御議論が非常に多かったというふうに理解いたしておりますが、ただいまの只松委員の御指摘は、恐らく現在の所得税法の中で女であるか男であるかということで区別されているものが一つあるのではないか。寡婦控除は一体どう考えておるのだということではないかと思いますが・・・。

只松委員
 聞かぬ先まで答えられては困るのですが、そういうふうにいま問わず語りにおっしゃいましたけれども、私もいままで家庭内職の問題、いろいろ御婦人の立場の平等についてたびたび論じてきました。それは当然でございますが、いま言われましたように、寡婦という問題はいわゆる未亡人あるいは女だけの問題ではない。男の場合も寡夫、男やもめというのはたくさんいるわけです。当然に法のもとにおいて平等で、女の寡婦控除というものがあれば男の寡夫控除というものがあるのが当然です。ところがこれがないというのが、男が逆に差別されておる、こういうことになると思うのですが、大臣どうですか。

 

(つづきます)

寡夫控除ができたきっかけ

 さて、寡夫控除の成り立ちですが、立法府の裁量の範囲ということなら少し勉強しなければなりません。もともと旦那さんを戦争で失った女性のために寡婦控除がつくられたようですが、昭和52年の衆議院大蔵委員会で社会党の只松議員の要求がきっかけで寡夫控除がつくられています。

 只松委員は男女平等を訴えていますが、作られたのは男女平等ではない寡夫控除になりました。当時の時代背景、政治的な決着、財政的理由、そんなところが想像できます。私は立法府の裁量の範囲というのを理解する努力をしてみようと思っています。

 会議録は抜粋ですがそれでも長くなるので、分割してアップするようにします。ご了承ください。

被告は誰でしょうか

訴状に書いた被告は、『国 代表 法務大臣』です。

実際に裁判に出頭してくるのは、誰になるんでしょうね。判例の場合は税務署の人のようでした。


今頃、答弁書の準備をしているでしょうか。もしかしたら、このブログも読んでいるかもしれません。勿論、読まれているという前提で書いています。

別に隠すような事はありません。裁判で起死回生の隠し玉を出すなんてこともありません。

闘争心がないんです。

被告も裁判官も含めて、みんなでよりよい制度にしていけたらいいのです。

判例の研究(4)

行政訴訟は被告が強いなぁ』

というのが判例を見た印象です。

裁判官の考え方も勉強になりました。

被告側の言い分なのかもしれませんが、

【著しく不合理とはいえない】なんて言い方もありなんですね。それって、理不尽でもちょっとなんだから我慢しなさいって事になるのかな。


性別による要件の違いは、立法府の裁量の範囲だから、違憲ではないよって事みたいです。


行政訴訟の原告の勝率が1割しかない事を、実感してきました。

判例の研究(3)

控訴審判例福岡高等裁判所 平成6年2月28日

平成5年(行コ)第27号


寡夫控除と寡婦控除との区別の合憲性。

 寡夫控除と寡婦控除とでその適用に差異があるのは憲法一四条一項(法の下の平等)に反するとの納税者の主張に対し、所得税法が総所得金額が基礎控除の額に相当する金額以下の扶養親族等がいる場合にのみ寡夫控除を認めたのは、寡夫寡婦との間の租税負担能力の違い、その他の諸事情を考慮した結果と考えられるから、立法府がその裁量の範囲を逸脱し、この区別が著しく不合理であるとは言えず、憲法一四条一項に反しない。


これに対して原告は上告する。

上告理由を抜粋

昭和五六年の税制改正によって制定された寡夫控除は一二年余の年月を経過し、又、雇用の分野における男女の均等な機会及び待遇の確保等の法律(※)も制定された今日、租税の負担能力は同額の所得であれば寡婦寡夫の間に差異はなく、あるのは所得額の多少と扶養する子などの人数のみである。したがって現行法の矛盾を認めない原判決は該当憲法条文の解釈を曲解している。


しかし最高裁(上告審)は棄却する判決をだしている。

最高裁判所第三小法廷

平成6年9月13日

平成6年(行ツ)第89号


男女雇用機会均等法(昭和61年4月施行)


続きます


判例の研究(2)

判例

第一審の判例

福岡地方裁判所 平成5年10月28日

平成5年(行ウ)第12号


棄却理由より抜粋


所得税法上、寡婦控除と寡夫控除で適用要件が異なることは、原告指摘のとおりである。そこで、この区別と憲法一四条一項との関係を検討するに、寡夫控除の制度は、昭和五六年の税制改正に当たって(昭和五六年法律第一一号)、従前は寡婦についてのみ所得控除が認められていたのを、父子家庭のための措置として、妻と死別し、または離婚した者のうち一定の総所得金額が基礎控除の額に相当する金額以下の扶養家族等がいる場合にのみ寡夫控除を認めたのは、寡夫寡婦との間の租税負担能力の違いその他の諸事情を考慮した結果と考えられるのであるから、立法府がその裁量の範囲を逸脱し、この区別が著しく不合理であるということはできない。したがって、本件更正処分は憲法一四条一項に違反するものではない。



これに対して原告は控訴するが、控訴審判決では原告の違憲性の主張は改めて判断を加えるまでもない失当であるとしている。


続きます

判例の研究(1)

被告側、つまり国側としては棄却を望む答弁書がでてくるはずですが、その理由として、寡夫控除と寡婦控除の要件の差異は合憲であるとした平成5年の判例を出してくると思います。

こちらはそれに反論しなければなりません。


そもそもその判例というのはどういうものだったのでしょう。


手元には福岡高裁控訴審判決があるのですが、一審と最高裁判例が手元にないので、息子に取り寄せを頼んでいるところです。


控訴審判例をみると、原告は個人事業主らしく、まず給与所得控除を主張しています。そして寡夫控除も付けて納税額を少なくしたことにより、税務署から更正処分がなされています。その後、加算税、延滞税と賦課され、その取り消しや、督促の取り消しを求める裁判になっています。


続きます。